人は、仕事を失いそうになると、次の仕事を探し始める。
でも、本当に失いかけているものは、仕事ではないことがある。
7月12日。
一つの記事を読んだ。
そこには、休職期間の残り一か月を前にした、一人の女性の迷いが綴られていた。
書いたのは、Noaさん。
彼女は、これからの働き方を探していた。
職場に戻るのか。
退職するのか。
新しい仕事を探すのか。
在宅という働き方を選ぶのか。
答えは、まだ見つかっていなかった。
休職という時間は、決して自由な時間ではない。
娘さんのこと。
お母さんのこと。
生活のこと。
これからのお金のこと。
だから彼女は、家族の近くで働ける方法を考えた。
在宅なら、何かあった時にすぐ動ける。
通勤時間もなくなる。
家族と過ごす時間も増える。
そう思った。
でも、その先の自分も見えていた。
家にいたら、
きっとまた全部抱えてしまう。
お母さんは週に三日、家で昼食を食べる。
これまでも、家族のお弁当を作る時には、お母さんの分も用意してきた。
頼まれたわけではない。
望まれたわけでもない。
ただ、
少しでも食べやすいものを。
少しでも安心できるものを。
そう思ったから。
その小さな行動の中に、
彼女という人がいた。
仕事でも、きっと同じことをしてきた。
相手が困る前に気づく。
相手に合わせて考える。
自分にできることを探す。
ある朝、一つの文章に触れた時。
彼女の中に眠っていた記憶が、静かに動き始めた。
ガソリンスタンド。
家庭教師。
塾講師。
展示会での説明。
仕事は変わっても、
繰り返されていた場面は変わらなかった。
困っている人の話を聞く。
分からないことを説明する。
相手に合わせて伝える。
そして、
相手の表情が少し変わる。
「分かった。」
「助かった。」
その瞬間だった。
彼女が好きだったのは、
仕事の名前ではなかった。
働く場所でもなかった。
誰かに何かが届く、その瞬間だった。
彼女は、自分には温度がないと思っていた。
でも、私には、そうは見えなかった。
頼まれてもいないお弁当を作る人がいる。
何年経っても、「助かった」という言葉を覚えている人がいる。
その姿は、何かを失った人ではなく、
ずっと大切なものを持ち続けてきた人に見えた。
ただ、それが毎日の暮らしの中に溶け込みすぎて、
自分では気づけなくなっていただけなのかもしれない。
彼女は仕事を探していた。
でも、本当に探していたものは違った。
探していたのは、
新しい働き方ではなく、
これまで何度も心を動かしてきた、その理由だったのだと思う。
次に彼女が選ぶ仕事を、私はまだ知らない。
けれど、
また誰かが「助かった」と笑う日が来るのなら。
その笑顔は、
仕事が変わっても、
ずっと変わらなかった彼女自身を、
静かに教えてくれるのだと思う。





