昔の人が言うことは、形を変えながらも意外なほど長く生き残る。
もちろん、それがそのまま科学的事実であるとは限らない。迷信もあるし、時代背景に縛られた考え方もある。それでも、何世代にもわたって語り継がれてきた言葉には、人間観察から生まれた何かが含まれていることがある。
「馬鹿は風邪をひかない」
日本人なら一度は聞いたことがあるだろう。このことわざは江戸時代後期には既に使われていたと言われている。
医学的に考えれば間違いだ。
風邪は感染症であり、知能とは関係がない。
頭が良くても風邪をひくし、勉強ができても感染する。ウイルスは学歴や肩書きを見ていない。
ところが、医療現場で働いていると、このことわざを完全な間違いとして片付けるのも少し違う気がしてくる。
人間は同じ症状でも、同じようには感じない。
微熱が出ただけで体調不良を強く意識する人もいれば、38度近い熱があっても「大丈夫」と言って仕事へ向かう人もいる。
客観的な症状と主観的な認識は必ずしも一致しない。昨日の記事に書いた内容だ。
そして現代医学は、心と身体が私たちが思う以上に深く結び付いていることを明らかにしている。
慢性的なストレスは免疫機能に影響を与える。
特に、ウイルス感染細胞などを攻撃するNK細胞は、長期間のストレスや抑うつ状態によって活性が低下することが知られている。
精神的な疲労は、単なる気分の問題ではない。
身体そのものの防御力にも影響を与える。
逆に、適度な運動や十分な睡眠、そして日光を浴びることは免疫機能の維持に関与している。
日光は体内時計を整える。
体内時計は睡眠の質を整える。
睡眠は免疫を支える。
こうして考えると、人間の健康は想像以上に生活そのものと結び付いている。
そこで私は一つの疑問を持った。
昔の「馬鹿」と、現代の「馬鹿」は本当に同じなのだろうか。
このことわざを生んだ江戸時代の人々は、スマートフォンを知らない。
SNSも知らない。
24時間流れ続けるニュースも知らない。
現代人が一日に接する情報量は、江戸時代の人が一年間に接していた量に匹敵するとも言われる。
数字の正確性はともかく、その感覚には納得できる。
私たちは朝起きた瞬間から情報に囲まれている。
ニュース。
SNS。
動画。
広告。
仕事の連絡。
他人の成功。
他人の失敗。
誰かの意見。
誰かの怒り。
そして寝る直前まで、それらを浴び続ける。
身体は椅子に座ったままなのに、脳だけが一日中走り続けている。
江戸時代の人々が見ていた世界と、私たちが見ている世界は、もはや別の環境と言ってもいい。
だから私は思う。
昔、「馬鹿」と呼ばれていた人は、案外健康的だったのではないか。
朝起きる。
外へ出る。
太陽を浴びる。
身体を動かす。
腹が減ったら食べる。
夜になれば眠る。
余計なことを深く考えない。
悩みを翌日に持ち越さない。
今なら健康本のベストセラーに書かれていそうな生活である。
もちろん、江戸時代を理想化するつもりはない。
医療も衛生環境も、現代とは比較にならないほど厳しかった。
しかし、人間の身体そのものは今も昔も大きく変わっていない。
情報環境だけが劇的に変化した。
だからこそ、「馬鹿は風邪をひかない」という言葉は、感染症について語っていたのではなく、人間の生き方について語っていたのかもしれない。
深く悩み過ぎない。
太陽を浴びる。
身体を動かす。
よく眠る。
その結果として、健康を維持している人々を昔の人は観察していたのではないだろうか。
医療現場で働いていると、最新の論文を読む機会がある。
しかし時々、その論文が説明している内容を、昔の人は経験則として既に知っていたのではないかと思うことがある。
科学は進歩する。
言葉も進歩する。
だが、人間そのものはそれほど変わっていないのかもしれない。
私たちは新しい言葉で説明しているだけで、昔の人が見ていた景色を別の角度から眺め直しているだけなのかもしれない。
この話に共感したか、違うと思ったかだけでも良かったらコメントください。
また、あなたが最近「昔の人は意外と正しかった」と思った言葉があれば教えてください。

「馬鹿は風邪をひかない」シンプルな生活の中で成立するものだったのかもしれないですね。
江戸時代の人が受けていた情報は自動的に少なかったので、今みたいにあらゆる情報に「反応」する機会が少なかったのかなと。
「風邪をひかない」って「元気」ってことだと思うので、人間が摂取できる情報は上限があってそれを超えると、身体もメンタルも「風邪」を引きやすくなるのかもしれないですね。
現代は「AI」も誰もが使える様になって、すごく便利でありがたいけど、その分は身体性やシンプルさに意識向けたいなあと改めて思いました!
医学と昔ながらの迷信ってありますね!
私は「病は気から」。
プラセボを信じているほうです🥰