記事は、人を紹介してくれる。
Substackを始めてから、一つ気づいたことがある。
記事は、出来事を書くものだと思っていた。
考えを書くものだと思っていた。
でも、続けているうちに分かった。
記事は、その人自身を紹介してくれるものでもある。
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先日、一人の団員がAviciiについての記事を書いていた。
28歳という短い人生。
世界中を熱狂させた音楽。
そして、こんな一文があった。
「人には誰にでも、その人だけの天才性が眠っている。違うのは、その才能が現れる入り口だけ。」
音楽の人もいれば、絵の人もいる。
話すことの人もいる。
そして彼は、自分にとっての入り口は「書くこと」だと結んでいた。
私は、その一文を読んで手が止まった。
Aviciiについての記事を読んでいるはずなのに、いつの間にか、その団員自身のことを読んでいた。
何を大切にしている人なのか。
どんな言葉を信じている人なのか。
その輪郭が、文章の行間から静かに伝わってきた。
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私はEDMが好きだ。
ただ、一番好きなのはAviciiではなく、ZEDDである。
あの透明感のある音。
静かに積み上がり、最後に景色が一気に広がるような展開。
何度聴いても飽きない。
そのことを伝えると、団員は、
「じゃあ、また聴いてみます。」
と返してくれた。
ほんの一言だった。
でも、その一言が嬉しかった。
記事から始まった会話が、音楽へと広がっていく。
そんな何気ない交流が、とても心地よかった。
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そして私は、彼に一つ返事を書いた。
「軍団には、『書くことの天才枠』を用意しておくよ。」
すると彼は、
「天才とは、村上春樹のような人のことですよ。」
と、少し照れたように返してくれた。
きっと謙遜だったのだろう。
でも私は、天才という言葉を、そんな特別な意味で使ったわけではなかった。
彼自身が記事の中で書いていた。
**「人には誰にでも、その人だけの天才性がある。」**
その言葉を読んだからこそ、私は思った。
あなたの天才性の入り口は、きっと書くことなんだ。
だから、そのまま言葉にして返した。
人は、自分の才能には案外気づかない。
だからこそ、それを見つけた誰かが伝えることにも意味がある。
私は、そう思っている。
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数日後、もう一度その記事を読み返した。
一度目は、Aviciiの記事として読んだ。
二度目は、その団員の記事として読んだ。
同じ文章なのに、見える景色が違っていた。
音楽について書かれた記事ではなく、
「私は、こんなことに心が動く人間です。」
そんな自己紹介のように読めた。
そのとき、私は気づいた。
記事は、情報だけを伝えるものではない。
書いた人自身を、静かに紹介してくれるものなのだ。
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病院で働いていると、毎日たくさんの人と出会う。
名前も知っている。
仕事も知っている。
でも、その人が何を好きで、何に心を動かされるのかを知る機会は、それほど多くない。
文章は違う。
書こうと思っていなくても、その人らしさが行間からにじみ出る。
だから私は、記事を読むのが好きだ。
書かれている出来事だけではなく、その向こうにいる「人」に出会えるから。
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一つの記事から始まったEDMの話。
Aviciiが好きな団員と、ZEDDが好きな私。
好きなアーティストは違っても、一つの記事が交流を生み、一人の人を知るきっかけになった。
記事を書いているつもりだった。
でも、本当は少し違った。
記事は今日も、書いた人を静かに紹介し続けている。


この記事はかずあきさんに捧げる。
記事でも天才性の話ありましたけどWord選びがかずあきさんは素敵ですよね。
個人的には授業では音楽は一番楽しくなかったけどね。
センスないからホントに記号も音も意味わからんまま進んでいくから酷い時間だったな。