病院の外で働く人から見ると、医療従事者というのは、少し不思議な生き物に見えるかもしれない。
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平日は働く。夜勤もする。休日出勤もある。人手不足もある。責任も重い。
そこまでは、多くの職業と同じだと思う。
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ただ、医療職には少し特殊な習性がある。
休みの日に、勉強し始める。
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学会へ行く。研修会へ行く。セミナーへ行く。論文を読む。資格試験を受ける。ガイドラインを確認する。
もちろん、全員ではない。でも、驚くほど多い。
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なぜか。
給料が上がるわけではない。誰かに褒められるわけでもない。むしろ、交通費と参加費で財布は軽くなる。休日も消える。
それでも行く。
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多分、患者は教科書通りに病気にならないからだ。
現場にいると分かる。人間は、思った以上に例外でできている。
検査値も。症状も。経過も。教科書通りなら、もっと楽だ。
だから、医療従事者は学び続ける。知識を増やしたいからではない。目の前の患者に、少しでも対応できる確率を上げたいからだ。
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医療という仕事は、知らなかったでは済まない場面がある。
もちろん、人間だから限界はある。完璧にはなれない。
でも、「知らなかった」と「知ろうとしなかった」の間には、大きな差がある。
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私は時々、医療従事者の勉強会というのは、技術研修というより、祈りに近いのではないかと思う。
次に遭遇する患者を助けたい。次の症例で困らないようにしたい。次の失敗を減らしたい。
そんな思いが、休日の会場に集まっている。
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ただ、その祈りには、静かな落とし穴がある。
学び続けることと、「自分はまだ知らない」と思い続けること——この二つは、似ているようで少し違う。
経験年数が増えるほど、勉強しなくても仕事は回るようになる。昨日と同じ仕事。去年と同じ仕事。五年前と同じ仕事。
慣れは、時に優秀な武器になる。でも、時に危険な麻酔にもなる。
「これくらいなら大丈夫」「前も問題なかった」「いつもこうしている」
そういう小さな油断が、静かに積み重なった結果として、大事な場面で現れることがある。
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だから医療現場では、勉強することそのものより、「自分はまだ知らないことがある」と認識し続けることが重要なのかもしれない。
知識量よりも、謙虚さの方が大事な場面がある。
学会へ行くたびに、新しい知識より先に、自分が知らないことの多さを思い知らされる。少し落ち込む。
でも、多分それでいい。
祈りが続くのは、完璧じゃないと知っているからだ。本当に危ないのは、知らないことではなく、知らないことに気付かなくなることだからだ。
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医療従事者の生態を一言で表すなら、休日を削ってまで勉強する、少し変わった人たち。
でも、その少し変わった習性が、誰かの命を支えている部分もある。
そして私は今日も、「休みなのに何やってるんだろう」と思いながら、
スーツを着ている。
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共感した方も、違うと思った方も、よかったらコメント欄で教えてください。
あなたの現場の話を、ここに記録させてください。

自腹を切り、休日を返上してまで学び続ける医療従事者の習性を、単なる技術研修ではなく「次に遭遇する患者を助けたいという祈りに近い」と表現された部分に、深く胸を打たれました。
誰かに褒められるわけでも給料が上がるわけでもないのに会場へ向かうのは、教科書通りにいかない目の前の命に対して、少しでもできることを増やしたいからこそ。その静かな熱意と誠実さが、日々の医療を底支えしているのだと改めて感じます。