「将来のために頑張っているはずなのに、なぜか今が苦しい」
そういう人が、増えている気がする。
毎月投資へ回す。節約する。固定費を削る。外食を減らす。遊びを減らす。本来なら前向きな行動のはずだった。でも時々、その「未来の安心」が、現在の生活を静かに圧迫しているように見える。
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お金についての情報が、異常なくらい流れてくる時代になった。
積立額、資産推移、配当、FIRE、老後資金。「◯歳までに◯千万」という数字がタイムラインを埋めていく。備えること自体は大切だと思う。否定するつもりもない。
ただ少し気になるのは、今の社会が「将来に備えていない人」より「将来を不安がり続ける人」を大量に生み出している気がすることだ。
投資を始めても安心できない。貯金が増えても不安が消えない。むしろ知識が増えるほど、「もっと備えなければ」という焦りだけが増幅していく。
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病院で働いていると、未来は思ったほど予定通りではないという現実を見る。
年齢に関係なく。努力に関係なく。ある日突然、人生の前提が変わる瞬間がある。だから私は時々、「老後のために今を全部削る」という生き方に、少し怖さを感じる。
若い時期にしか持てない体力、勢い、無駄話、旅行、友人との時間、意味もなく笑っていた夜。そういうものは、金融商品みたいに後から買い戻せない。
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でも今は、現在を楽しむことに、少し罪悪感が発生し始めている。
旅行へ行けば「その分を投資していれば」。外食をすれば「積立額を増やせた」。そういう思考が、静かに入り込んでくる。
資産形成というより、「不安の管理ゲーム」みたいになっている人が増えている気がする。本当に怖いのはお金が足りないことだけではない。周囲から遅れること、置いていかれること、「ちゃんとしていない側」へ落ちること。たぶん、そちらの恐怖の方が大きい。
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SNSでは成功例だけが流れてくる。
でもその裏側で削られている生活はほとんど映らない。断った遊び、削った食費、我慢した趣味、疲れていても働いた休日。そういうものは数字にならない。
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検査室で働いていると、時々思う。
人間は最後、「いくら持っていたか」より「ちゃんと生きていたか」を思い返すのではないか、と。
もちろんお金は大事だ。ないと困る。綺麗事だけでは生活できない。でも未来への備えだけで人生を埋め尽くしてしまうと、現在がただの「準備期間」になってしまう。
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人生には、複利で増えるものがある。お金だけじゃない。
人間関係、経験、記憶、感情、「あの時、生きていた感覚」。そういうものも、時間をかけて静かに自分を支える。
「投資を始めよう」という言葉より、「今を削りすぎないでください」の方が必要な人も、多い気がしている。
未来の自分を守るために、現在の自分を消耗させ続けるのは、少し違う。
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資産形成で一番難しいのは、増やすことではなく、今の人生まで痩せさせないことなのかもしれない。
