今日は父の日だったらしい。
「だったらしい」と書いたのは、自分ではすっかり忘れていたからだ。
今、私は学会で県外に来ている。
慣れないホテルのベッドで目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝の光。
静かなエアコンの音。
枕元には、昨日の学会資料が積まれている。
病院とは違う場所なのに、どこか宿直明けの朝に似ていた。
まだ少し眠いまま、何気なくスマートフォンを開いた。
Substackを眺めていると、父の日の記事がいくつも流れてきた。
子どもからもらった手紙の話。
初めて父になった人の話。
亡くなった父親を思い出す話。
そこでようやく気づいた。
ああ。
今日は父の日なのか。
そして私は、父親だった。
---
でも、うちの子どもはもう小さくない。
思春期だ。
「パパ、見て。」
と袖を引っ張ることはなくなった。
休日に一緒に出かけようと誘われることも減った。
学校の出来事も、以前ほど話してくれない。
友達との予定のほうが大事そうだ。
部屋のドアは閉まっていることが増えた。
少し寂しい。
正直に言えば、父親としての役目が終わっていくような気持ちになる日もある。
そして、ふと思った。
最後に手をつないで歩いたのは、いつだっただろう。
最後に抱っこした日は。
最後に「パパ、一緒に遊ぼう」と言われた日は。
思い出そうとしても、はっきり思い出せない。
たぶん、その日が最後だなんて思っていなかったからだ。
人生には、終わると分かっている別れもある。
でも本当に堪えるのは、
「これが最後だった」と気づかないまま終わってしまうことなのかもしれない。
---
そんなことを考えながら、昨日の学会を思い出した。
若い頃の私は、学会が苦手だった。
質問の時間になると、なるべく目立たないようにしていた。
「変なことを聞いたらどうしよう。」
「こんな初歩的な質問で笑われないだろうか。」
評価されたい。
認められたい。
恥をかきたくない。
学会は、「自分のための場所」だった。
少しでも知識を増やして。
少しでも前に進んで。
少しでも賢く見られたかった。
正直に言えば、
「厳しい質問ですね。」
と言われると嬉しかった。
名前を覚えてもらえると嬉しかった。
そんな俗っぽさもあった。
---
でも昨日。
気づけば私は、演者に手を挙げて質問していた。
「この場合はどう考えますか?」
「現場ではこういう経験があるのですが。」
昔の自分なら、きっと黙っていた。
そして気づけば、若い人から質問される側にもなっていた。
「この解釈で合っていますか?」
「こういう時はどうしていますか?」
昔の自分が先輩たちに尋ねていたようなことを、今度は自分が聞かれるようになっていた。
その瞬間。
ふと思った。
「あれ?」
そういえば。
昔の自分も、こんなふうに誰かに教わっていたな。
同じ学会なのに。
同じように椅子に座っているのに。
見えている景色だけが変わっていた。
---
若い頃は、自分のためだった。
父親になってからは、家族のためだった。
そして今は、まだ会ったことのない誰かのために学んでいる。
この知識が。
この経験が。
いつか誰かの役に立つかもしれない。
結果を待つ患者。
不安そうな家族。
判断に迷う後輩。
夜勤中の医師。
まだ出会っていない誰かのために。
休日を使って。
家族と離れて。
知らない街のホテルで朝を迎える。
正直、給料が上がるわけでもない。
表彰されるわけでもない。
誰かに褒められるわけでもない。
それでも学会へ行く。
もしかすると。
これは祈りなのかもしれない。
「この知識が、いつか誰かの役に立ちますように。」
そんな祈りだ。
---
そして。
私はずっと、誰かを支えてきたつもりだった。
子どもを育て。
家族を守り。
患者のために働き。
後輩を教え。
誰かの不安を減らそうとしてきた。
でも、本当にそうだったのだろうか。
子どもがいたから、頑張れた日があった。
患者がいたから、学び続けようと思えた。
後輩がいたから、知識を見直すことができた。
「ありがとう。」
と言われた何気ない一言に、救われたこともあった。
誰かを支えているつもりで。
実は、支えられていたのは自分のほうだったのかもしれない。
---
思春期になった子どもは、もう昔のようには頼ってこない。
それはきっと、喜ぶべきことなのだろう。
親がいなくても笑える日が増えたということだから。
親に相談しなくても、自分で考えられるようになったということだから。
でも。
分かっている。
分かっているのに。
もう戻らない時間があることを思うと、少しだけ胸が痛む。
あの頃は、「早く手が離れてほしい」と思った日もあった。
眠れない夜もあった。
疲れ切った日もあった。
それなのに今は、
「もう少し、あの時間をゆっくり味わえばよかった」
と思ってしまう。
人は本当に勝手だ。
---
ホテルを出る前。
ふと鏡を見る。
白髪も増えた。
疲れも抜けにくい。
宿直明けの回復も遅くなった。
子どもも、昔みたいには頼ってこない。
でも。
学会では、誰かがこちらを見て質問していた。
病院へ戻れば、また誰かが結果を待っている。
どうやら私は、思っていたより、まだ誰かに必要とされているらしい。
父親としては少し寂しくて。
医療者としては少し誇らしい。
そんな複雑な気持ちのまま、今日も学会会場へ向かう。
---
たぶん。
大人になるというのは、誰にも必要とされなくなることではなく、必要とされる場所が静かに移り変わっていくことなのだ。
年を重ねるというのは、失うことばかりではない。
見える景色が変わること。
願う相手が自分以外になっていくこと。
そして。
誰かを支えているつもりだった人生の中で、実は自分もまた、たくさんの人に支えられてここまで来たのだと気づくこと。
---
今日は父の日だったらしい。
来年の父の日も、きっと忘れているかもしれない。
それでも。
最後に手をつないだ日を思い出せないこと。
学会で若い人から質問されたこと。
ホテルの静かな朝に、自分の役割の変化に気づいたこと。
たぶん、この朝のことは忘れないと思う。
子どもたちが生きる未来が、ほんの少しでも優しい世界でありますように。
そして。
まだ会ったことのない誰かが、明日も少しだけ安心して眠れますように。
そんなことを願いながら、
私は今日も学会へ向かう。
#父の日
#父親
#思春期
#子育て
#医療従事者
#臨床検査技師
#学会
#人間観察
#生き方
#老い
#家族
#最後の日
#気づかなかった幸せ
#Margin_Archive

この記事をENAMIさんに捧げる。
子供が健やかに成長していくことを嬉しく思う反面、離れていくことに寂しさを感じています。
でも、本当に子供たちが生きる未来もおっしゃるように優しい世界だったらいいなぁと思うばかりです。