Substackを始めてから、記事を書くことと同じくらい、人の記事を読む時間が増えた。
誰かの記事を読み、
コメントを交わし、
また別の誰かの記事を読む。
そんな静かな交流を続けるうちに、私は一つのことに気づいた。
人は、文章を読む前から、もう何かを読んでいる。
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ある女性の記事だった。
その文章は、とても柔らかかった。
誰かを言い負かすためではなく、
誰かの心を少し軽くするために書かれたような言葉。
読み終えると、自然と肩の力が抜ける。
そんな文章だった。
でも、プロフィールを開いた瞬間だけ、少し違和感があった。
アバターだけが、どこか鋭かった。
強く、近寄りがたい印象。
文章から伝わる空気と、
最初に目へ飛び込んでくる印象が、
少しだけ噛み合っていなかった。
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もちろん、それは私の感じ方に過ぎない。
余計なお世話かもしれない。
何日か迷った。
それでも、せっかくこれほど素敵な文章を書く人なのだから。
最初に受け取られる印象が、その魅力を隠してしまうのは少し惜しい。
そう思って、私はコメントを書いた。
「もしよければ、文章の雰囲気に合うアバターにしてみるのもいいかもしれません。」
押しつけではない。
一人の読者として感じたことを、そのまま伝えただけだった。
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翌日。
彼女のアバターは変わっていた。
文章から伝わる空気と、自然につながる一枚になっていた。
私は思わずコメントした。
「アバター、すごく良くなりましたね。」
返ってきた言葉も、どこか嬉しそうだった。
そのやり取りだけで、私は少し嬉しくなった。
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それからしばらくして気づいた。
以前より「いいね」が増えている。
もちろん、それがアバターのおかげだったとは言えない。
記事の内容かもしれない。
投稿した時間かもしれない。
偶然だったのかもしれない。
だから私は、そこを結論にはしたくなかった。
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でも、一つだけ確信したことがある。
人は、文章だけを読んでいるわけではない。
名前。
プロフィール。
アバター。
コメントの返し方。
そこから伝わる空気。
それらすべてを受け取ったあとで、ようやく文章を読んでいる。
私はずっと、
「良い文章なら伝わる。」
そう思っていた。
でも違った。
文章が読まれる前に、
もう「その人」は読まれていたのだ。
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考えてみれば、それは現実でも同じだった。
初対面の人と話すとき、
私たちは言葉より先に表情を見る。
声の調子を聞く。
距離感を感じる。
安心できる相手だと思えたとき、
初めて言葉が心に届く。
ネットの世界も、それほど変わらないのだろう。
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あの日、変わったのは一枚のアバターだった。
でも、私が見たのは画像の変化ではない。
その人の表現が、一つにつながった瞬間だった。
文章は変わっていない。
人柄も変わっていない。
変わったのは、「伝わり方」だった。
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最後に私は冗談でコメントを書いた。
「これ、私のおかげですよね(笑)。良かったら、うちの軍団に来ませんか?」
もちろん冗談である。
でも、その軽口が返ってくるくらいの関係になれたことが、私は少し嬉しかった。
記事を書くことは、一人でもできる。
けれど、
記事は人との交流の中で育つことがある。
観測も、一人で始まる。
けれど、その観測に意味を与えてくれるのは、誰かとの出会いなのかもしれない。
だから今日もまた、私は誰かの記事を読む。
文章を読むためだけではない。
その人に、出会うために。

アバター、思っていたより印象を左右してしまいますよね。
私もアバターで近寄りがたく感じるとフォロー返しの指が震えます笑
関係がかわる瞬間😊ほっこりしました