第三作の小説を書いている。
舞台は未来。主人公は、第一作で脇役だった「渋谷」という男だ。
彼は天才ではない。革命家でもない。世界を変える能力もない。ただの、普通の人間だ。
未来を舞台にした作品には、強い設定が求められやすい。巨大企業、AI、監視社会、人体拡張。第三作の世界にも、未来特有の技術や空気は存在している。
でも私が書きたいのは、未来そのものではない。
未来に置かれた、「普通の人間」だ。
技術は進歩する。社会構造も変わる。労働も、人間関係も、倫理観も、少しずつ更新されていく。
でも人間の内部だけは、案外そこまで変わらない。
孤独になる。疲弊する。誰かと比較する。意味を探す。何かを諦める。そして時々、理由もなく、静かに壊れる。
渋谷は、そういう側の人間だ。
第一作を書いた頃、私は彼を本当に脇役としてしか見ていなかった。
でも時間が経つほど、妙に気になり始めた。
主人公たちは、物語の中心で強く発光する。でも渋谷みたいな人間は、その光の外側で、ずっと生活を続けている。
現実では、たぶんそちらの方が多数派だ。
渋谷は未来を救わない。世界を変えない。
ただ、毎日を生きている。働いて、疲れて、少し考えて、また働く。時々、自分が交換可能な部品に思えて、少しだけ沈む。でも完全には壊れない。壊れ切れないまま、次の日も起きてしまう。
私は、そこに妙なリアリティを感じている。
最近の作品では、選ばれた人間ばかりが主人公になる。特殊能力、特別な運命、圧倒的才能。物語としては分かりやすい。
でも現実には、ほとんどの人間が渋谷側だ。
特別ではない。でも、ちゃんと傷ついている。
第三作を書いていて時々思う。
これは未来小説というより、単なる「生活記録」なのかもしれない、と。AIが普及しても、社会が最適化されても、人間は普通に悩む。普通に孤独になる。普通に、自分の存在価値が分からなくなる。
どれだけ技術が進歩しても、人間の内部には古い感情が残り続ける。
社会を変えるのは、いつも一部の天才かもしれない。
でも社会を「維持してしまう」のは、大抵、普通の人間だ。
未来を書くというより、私は今、「未来でも結局、人間は人間だった」という記録を書いているのかもしれない。
渋谷という男が、どんな未来を生きているのか。続きはSubstackで書いています。
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